当サイト「After Work-京都の街で一歩ずつ-」にお越しただき、ありがとうございます。
京都大学卒業後、結局京都から離れることもなく、カメラを手に写真を撮り続けている管理人です。
高3の受験生の冬、出町柳の駅を降りた私の目に飛び込んできたのは、キラキラと輝く鴨川と京都独特の空気感、しんしんと降る雪の中に響く「ピッポ、ピッポ、」という信号の音でした。
それまで「ただ賢い大学だから」という理由だけで京大を受験しようとしていた私は、受験当日の朝、初めて「京大に入学すれば、この景色の中で生活することができるのか」と感動したのをよく覚えています。
そんな「京都の日常」みたいなものに息をのむほど感動し、期待に胸を躍らせながら京都生活を始めた私ですが、待っていたのは、”森見登美彦的京大生に憧れた凡人の末路”とも言うべきものでした。
昼過ぎに起きてシャワーを浴び、スマホを眺めてダラダラするともう17時頃。
雨漏りのする下宿先から自転車を飛ばして一乗寺に行き、その日の気分で好きなラーメン屋に開店凸。
当時は「開店凸」という言葉がSNSを中心に流行し、そうすることが格好良いかのように使っていました。
そして帰りに百万遍のダイコクドラッグでお菓子を500円分くらい買って、そのまま吉田寮に麻雀をしに行くのです。
そして、そんな生活をしている自分になんとなく酔いしれた気分に浸りながら朝を迎え、朝食代わりに24時間営業のラーメン屋まで再び自転車を走らせ、眠気が限界に達した頃、出勤する社会人たちと入れ違いにベッドに潜り込むわけです。
そんな学生生活がなんだかんだ楽しかったからか、初めて見た京都に思い出補正がかかっているからか、何にせよ「鴨ップルが集まる鴨川河川敷はコバエだらけ」だとか、「百万遍に置いた自転車は京都市に2秒で持っていかれる」とか、4年間で覚えたのはそんなことばかりだった気がするけれど、結局、そのまま京都で就職することを決めました。
そんなわけで、このサイトでは、「京都」を基本テーマに据え、もはや投資額ばかりが膨れ上がるカメラという世界を通し、京都という街を少しずつご紹介していければと思います。
時々、管理人の個人的な雑記も投稿するので悪しからず。